#24 踊る赤信号
約三、四年前の話になるが、「踊る赤信号」というのをご存知だろうか。
メルセデス・ベンツの「Smart」がキャンペーンの一環として行った企画で、歩行者の横断歩道無視を防止する画期的なアイデアだった。
すでに知っている人の方が多いと思う。(なんせ大分前の話なので)だが、私は「踊る赤信号」をつい最近知ったのだ。その衝撃たるや、頭の先から爪の先までとはいわない第一関節のあたりまで電撃が走り、その電撃は私の脳髄を刺激するや否や奥歯にわずかに残ったクリニカ(フレッシュミント味)を亜音速で振動させることによって私の歯磨きでは起こり得なかった究極のホワイトニングが奥歯だけに発生し、どうせだったら全ての歯間のミクロサイズ食べ残しを落とすべく歯を食いしばった私は、両腕をクロスさせ叫んだ。「ワカンダ、フォーエバー」と・・・・・・。
話戻しますね。
「踊る赤信号」の内容を知らない方に丁寧に説明しよう。
要は、止まっている赤信号のシルエットが踊り出し、歩行者の目を引きつけることによって歩行者の横断歩道無視を未然に防ぐという素晴らしいアイデアなのだ。
終わっちゃった。私の闇に埋もれた語彙力のせいで、「丁寧に」説明することなく終わってしまった。「丁寧に」って言っているのに、その後「要は」ってもう面倒くさがっているじゃないか。いかんいかん。もっと掘り下げよう。
その踊るシルエットは事前にプログラミングされているものではない。近くにダンスブースがあり、その中に入っている人が踊ることでリアルタイムダンスバトルが繰り広げられるのだ。
「YO、そこの君、ゲームは好きかい?今猛烈に流行りの荒◯行◯」
「撃って殴って奪って勝ち取る、可能性無限大のサバイバルゲーム!」
彼らの魂の踊りが、赤いシルエットに変わる。波打つ鼓動、流れる脈動。踊る赤光が歩行者の足を止め、彼らの原始的な何かを呼び覚ます。
「ウッ、ホッホ」
「ウホッホ」
「ウッ、ホッホ」
「ウッ、ホッホ」
「ウホッホ」
「ウッホー」
偉大なるゴリラのお出ましだ。
客待ちのタクシー運転手が不安げな表情で見守る中、ゴリラたちは踊り続ける。「青に変わったら、どうなるんだ」と、人々は息を呑む。ゴリラたちの刻むビートが、強くなる。地が揺れ、木々はしなり、ウイスキーを片手にホームレスが新聞紙にくるまる。
「ウイスキーがお好きでしょ?」
「ビール〜」
「もう少し喋りましょ?」
「ビール〜」
その時だった。
赤い光の点滅が、フッと消える。
テレレ〜レ〜レ〜、テレレ〜レ〜レ〜、テレレレ〜♪
(ジュラシックワールドのテーマ曲)
ゴリラたちは一斉に駆け出す。雄叫びとも悲鳴にも聞こえるその何かは、人々を混乱させた。後にハチ公前の魔導師がこう言い残している。
「産声じゃ。あの時、渋谷の交差点は産声をあげたのじゃ」
親戚一同から譲り受けた菜箸をシャカシャカ鳴らしながら、魔導師は叫び続けた。
「ジュラ紀じゃ!ジュラ紀の再来じゃ!はぁ〜、まどいたまえ〜、まどいたまえ〜」
口臭に多少の酒臭さを残しつつ、魔導師は叫び続ける。私は魔導師の足元に置いていあるビスコ缶にそっと十円玉を入れ、魔導師の元を去った。
六月も終わり、七月に入った。
汗ばむ陽気が、首筋の汗疹を痒くさせる。鞄からハンカチを取り出し、赤い皮膚にそっとあてる。空を見上げると、そこには横断歩道の信号機があった。
「踊る赤信号か。いいアイデアじゃないか」
信号が赤から青に変わる。
私はハンカチを頭の上に乗せ、熱帯と化した渋谷の交差点を後にした。